愛媛大学沿岸環境科学研究センター 化学汚染・毒性解析部門:環境毒性学(岩田)研究室
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環境毒性学とは

環境毒性学の成立ち

 エコトキシコロジー(ecotoxicology)という言葉は1960年代末になって初めて登場する。その学問的な定義が確立するようになったのは、1970年代に入ってからである。1976年に国際学術連合の環境問題科学委員会(Scientific Committee on Problems of the Environment)は、エコトキシコロジーを「自然由来のまたは人工的に合成された化学的・物理的素材」が「生態系の生物密度と生物社会に及ぼす影響を研究する学問領域」と定義した。ここではエコトキシコロジーを環境毒性学とよぶことにする。人類が利用するためだけのものとして環境を捉えていた時代が過ぎ、人類もまた他の生物種と同様に環境と調和することによってしか生存できないという認識が高まる時代のなかで、環境毒性学は毒性学の一分野として誕生したといえよう。

 環境毒性学と毒性学の最も大きな相違点は、毒性学が主として個体に対する影響を扱うのに対し、環境毒性学は生態系を構成する生物種の集団への影響を研究することである。これまでの毒性学は、主としてヒトや家畜・愛玩動物に対する危険性を予測するために、あるいは個体の救護を目指して発展してきたといえる。実験動物を用いて研究する場合も、そこで観察された影響を特定の生物種へ外挿することに重点が置かれた。しかしながら、化学物質の暴露に対する感受性が実験動物種間でさえも異なっているという過去の研究例から推定すれば、生態系を構成する生物種への影響はヒト以上に問題になる場合があるかもしれない。したがって生物種特異的な感受性や毒性影響の解明、各生物種・個体群毎のリスク評価法の開発は、環境毒性学の重要な課題の一つである。そして環境毒性学では種の保存を目指し、生態系を構成する全ての生物種を研究対象とする。

 化学物質の多くは、体内で様々な代謝過程を経て、異なる物理化学的特性・生物学的活性を有する物質になる。多様な生物を対象とする場合、種間で代謝力が異なるため、環境毒性学では代謝過程の種多様性について考慮する必要がある。

 また、毒性学では被検物質を単独投与する試験がほとんどであるが、自然環境ではそのような場合はないといってもよい。環境毒性学では、化学物質の複合暴露による相乗的・相加的あるいは拮抗的な作用の実態解明も要求される。

 このほか、毒性発現に影響すると考えられる生態的・地理的要因の解明も環境毒性学の研究対象である。例えば、同一環境にいる肉食獣と草食獣では、食物連鎖の栄養段階が異なるため、残留性の高い化学物質の暴露は肉食獣ほど高くなり、リスクは増すことが予測される。また同じ種を扱うにしても、生息域が異なれば、多くの環境要因によって毒性影響は異なるであろう。

 このようにして誕生したエコトキシコロジーの研究内容もまた、毒性学の場合と同様に、環境汚染の歴史的背景に影響されて変わりつつある。家畜の大量死や職業病・公害によるヒトの被害が明確に現れていた時代には、高レベルの被検物質の短期間投与による中毒症状が詳細に調べられた。低レベルの被検物質投与が長期にわたって慢性的に継続するような環境汚染が問題視されるようになってくると、より低レベルの慢性暴露による影響についての研究もおこなわれるようになった。影響として見る対象は、死亡や奇形発生・ガン発生のような致命的な症状から、免疫系・神経系・内分泌系の異常といった分子・遺伝子レベルの変化へと移行し、非致死的ではあるが生物の健康を脅かす影響を検知する試みが主流になりつつある。

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